終末 の ラッパ。 ヨハネの黙示録の天使のラッパと四騎士が世界の滅亡を暗示!

18点の絵画で学ぶヨハネの黙示録。終末のラッパとサタンとの戦い、最後の審判へ : メメント・モリ

終末 の ラッパ

《内容》 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。 その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。 やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。 だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。 そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。 恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。 …、そして、彼の逃亡がまた始まる。 はたして、彼は逃げ切れるのか。 鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 《内容》 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。 その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。 やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。 だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。 そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。 恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。 …、そして、彼の逃亡がまた始まる。 はたして、彼は逃げ切れるのか。 鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 小説 イオの末裔 〔Kindle版〕 販売開始しました。 《内容》 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。 その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。 やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。 だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。 そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。 恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。 …、そして、彼の逃亡がまた始まる。 はたして、彼は逃げ切れるのか。 鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 イスラム教はキリスト教、仏教と並ぶ世界三大宗教の1つで、現在はアフリカからインドネシアにまで及ぶ広い範囲で信仰されており、信者の数も8億から10億に及ぶといわれているほど大きな宗教勢力となっている。 したがって、コーランは現在でもかなり大きな影響力を持つ書物といえるが、一読して、終末論的なイメージに溢れていることに驚かされる書物である。 ムハンマドに神の啓示が現れ始めたのは、彼が40歳になった頃からで、その後20年間にわたり間欠的に現れたといわれる。 ムハンマドはこの20年間のうち最初の10年間をメッカで、後の10年間をメディナで過ごしているが、とくにメッカで語られた啓示の中に、終末の情景について語ったものが多い。 コーランの思想はユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書の流れを汲むもので、ユダヤ教を完成させるものだというのが基本的な立場である。 この立場に立った上で、コーランでは唯一の神であるアッラーの偉大さと慈悲深さを徹底的に主張している。 この宇宙や人間を創ったのはアッラーであり、これらの存在を現在維持しているのもアッラーの力である。 このアッラーが、すべての人間に寿命を定めたのと同じように宇宙にも期限を設けたので、終末の日は必ず来るというのがコーランの主張である。 そして、啓示のあちらこちらで、その日の情景が描かれている。 コーランが語る終末は、あらすじとしてはユダヤ教やキリスト教に類似したものになっており、終末の日の核心部分には「最後の審判」が置かれている。 ただし、最後の審判における人間の行為の評価方法などには、コーラン独自の思想が現れている。 コーランによれば、アッラーは6日間かけて天地を創ったとされているが、このときの様子はだいたい次のようなものである。 天地が創られる以前、天と地は縫い合わされているようにくっついた1つのものだった。 アッラーがこれをほどいて天と地という2つのものにした。 次に、アッラーは地の上に山々を杭のように打ち立てて、地が揺れ動いたりしないようにした。 そして、そこに豊富な食物を配置した。 それからアッラーは天に昇ったが、このとき天は煙のように曖昧なものだったので、アッラーはここに7つの階層を設け、それぞれに役割を与えた。 同時にアッラーは太陽と月を配置し、一番大地に近い天には無数の星々を置いたのである。 アッラーは天と同じく地にも7つの区分けを設けたが、これについては地獄の7階層だという解釈もある。 天地を創ったときに、アッラーは天使、妖霊、人間、動物も創った。 天使は火から、妖霊は燃え盛る炎から創られ、最初の人間であるアダムは泥から、動物たちは水から創られた。 また、アダムの一部分から彼の伴侶が創られ、後世の人間がこの2人から誕生してくるようにしたのだという。 この世界のすべてを創造した神アッラーは当然この世界を滅ぼす力も持っている。 コーランでは、アッラーは世界を創造するときにすでにこの力を用いていたとされている。 この世に生きているものにはすべて寿命があり、この寿命はアッラーが定めたものとされるが、この世界を創造するときに、アッラーは世界そのものにも寿命を定めたのだという。 ユダヤ教・キリスト教においては、世界の終末にはいくつかの前兆があるが、コーランが語る世界の終末には前兆らしきものはほとんどない。 ただ1つの例外は、ヤージュージュとマージュージュと呼ばれるものが解き放たれて、崖から駆け下りてきて世界を荒らすとされていることである。 ヤージュージュとマージュージュというのは、旧約聖書や『ヨハネの黙示録』の中で終末の直前に世界を混乱させるとされているゴグとマゴグ(P. このため、世界の終末はまったく唐突に訪れる。 終末はまず天変地異という形でやってくる。 コーランではこの天変地異を天の崩壊と地の崩壊という2つの視点で語っている。 アッラーの創った天は7層で、がっしりしており、どこにも裂け目がないとされているが、終末の日にはこの天がぐらぐらと大きく揺れ、ぱっくりと割れて裂けてしまい、壊れ落ちてくるのである。 しかし、信仰心のない人間たちは、このときになっても、「あれ、随分と雲が重なっているな」などというだけだという。 天体の星々も、このときに命を終える。 星たちは輝きを失って地上に落ちてくる。 太陽も月も完全に光を失い、暗黒にぐるぐる巻きにされてしまう。 こうした崩壊は大地をも襲う。 本来ならば平坦で不動のはずの大地が、ぐらぐらと激しく揺れ、砕かれ、四方八方に裂け、中にあったものをすべて吐き出して空っぽになってしまう。 大地を不動のものとするために杭のように打ち立てられていた山々も、ずるずると動きだし、ついに空中を乱れ飛んで、粉々になってしまうのである。 こうして、すべての山々が崩壊してしまうので、大地はついにどこまでも平坦なものになってしまう。 そして、この結果、海の水が大地に流れ込んで、世界は始まる以前の混沌の状態に戻ってしまうのである。 このことは、人間の身に起こる出来事についても同様である。 終末の日に人間の身に起こる出来事で最大のものは最後の審判だが、この審判はこの世に生きたことのある人間のすべてが受けなければならないものである。 終末の日に、地上で生きていたか死んで墓の中にいたかは関係ない。 そこで、終末の日に生きていたか死んでいたかによって、この日経験する出来事が少しばかり異なることになる。 終末の日には、天使が2度ラッパを吹き鳴らすが、この日に生きていたものたちは、最初のラッパが鳴り響いたとき、すべてが一度気を失うとされている。 それから、2度目のラッパが鳴り響き、生きていたものも死んでいたものもすべてが、生きていたときと同じ姿で復活するのである。 この復活の場面に関しては、コーランの考えはユダヤ教やキリスト教と異なっている。 ユダヤ教、キリスト教では、人間は死ぬとすぐに死後の審判を受け、天国や地獄に送られる。 そこで、最後の審判は、終末の日以前に死んでいた人間にとって死後に行われる2度目の審判ということになる。 しかし、コーランでは、人間の受ける審判は最後の審判だけである。 コーランの場合、人間は死ぬと墓に埋められ、その墓の中で、最後の審判を待っているとされているのである。 終末の日に天使が2度目のラッパを鳴らすと、死んでいた人間たちは墓の中から復活するのである。 墓の中にいた人間たちは、身体が腐り、骨になったり、完全に土になってしまっているものたちもいるが、そのようなことには関係なく、すべてのものたちが生きていたときと同じ肉体を供えた姿になって復活するという。 現実的な時間では、古い時代に死んだものと、より新しい時代に死んだものとでは、墓の中にいた時間には大きな違いがある。 1000年以上も墓の中にいたものもいれば、10年間しか墓の中にいなかったものもいるはずである。 しかし、コーランによれば、終末の日に復活した人間たちはみながみな、墓の中で暮らしていたのはほんの少しの期間に過ぎないと感じるのだという。 たとえ何百年間も墓の中にいたとしても、復活した日には、人々はみな、自分がわずか10日間しか墓の中にいなかったとか、たった1日しかいなかったとか、極端な場合には1時間しかいなかったと感じ、近くにいるものたちとひそひそと墓の中にいた時間について話し合ったりするのである。 復活した人々は、次に神アッラーの前に集められる。 このとき、人々はぞろぞろと群を成してアッラーの前に集まってくるとされている。 しかし、このとき人々はただたんに群を成しているだけで、それぞれの人間の間に特別な関係もあるわけではないし、むしろ、それぞれがまったく無関係な個人として群を成して移動しているだけだといっていい。 生きているときに夫婦だったとか、親子だったとか、あるいは兄弟、親戚、友人同士だったなどという関係は、終末の日にはもはや存在しなくなってしまうし、何の役にも立たなくなってしまう。 あくまでも1個人として、人々は群を成してアッラーの前に集まり、そこで最後の審判を受けることになるのである。 この判断を行うのはアッラーの神だが、コーランでは審判が行われるのは大地の上なので、審判に先立って、神の来臨があるとされている。 終末の日に、どかんどかんと大地が砕かれ、そこに神が降りてくるのである。 神と一緒に数多くの天使たちも隊伍を整えてやってくる。 業火が燃え盛るジャハンナムと呼ばれる地獄までもが、審判の場には持ち込まれるという。 終末の日に復活した人々は、みながみなこの場所へやってきて、1人1人最後の審判を受けることになるのである。 こうして、最後の審判の場まで来ると、人間はもうどんな嘘をついても通用しないし、どんないいわけも役に立たない。 最後の審判にやってくる人間は、みなそれぞれに2人の天使に付き添われている。 そのうち1人は人間を追い立てる役目を持つものだが、もう1人は人間の魂の記録係だとされている。 この記録係の天使は、すべての人間に1人づつ割り当てられており、人間が生きている間の行動をすべて帳簿に記録していたのである。 2人の天使に伴われてアッラーの前にやってきた人間は、帳簿に記録されている善いことも悪いこともすべて見せつけられる。 そして、ここで発言されたことはすべて、そばにいる番人によって記録されるのである。 審判の場所には、数多くの証人たちも登場する。 興味深いのは、コーランの最後の審判では、天使や人間や妖霊ばかりでなく、舌、手、足、耳、目、肌といったその当人の身体の一部までが重要な証人となるということだ。 自分の肌が突然に自分に不利なことを証言し始めたことに驚いて、「どうしておまえは自分に不利なことを証言するのだ」と文句を言っても始まらない。 アッラーが肌に証言することを許しているからである。 こうして、最後の審判にあっては、あらゆる意味で公正な裁判が行われるのである。 天国は永遠の楽園であり、そこに入ったものは永遠に安楽な暮らしをすることができる。 地獄は全く逆の場所で、そこに入ったものは永遠の責め苦に苦しむことになる。 ここで天国行きか地獄行きかを分けるものは当人の生前の行いだが、コーランにおいては、人間の生前の行いに報いるための独自の法則がある。 単純化すると、生前に少しでも善いことをした者は、その人が行った行為の中で最も優れた善行によって全人生を判断され、悪いことを行った者は、悪行の総量によって判断されるということである。 これは、善いことを行った者は自分が行った善いことの総量以上の褒美をもらうことができ、悪いことを行った者には悪行に見合った罰が与えられるということである。 例えば、コーランを信仰し、善行を行おうと努力した者の場合は、たとえ少しばかり悪いことをしたことがあっても、それは見逃してもらえる。 そればかりか、その人が行った行為の中で最も善いことを、一生涯行い続けた分だけの褒美を天国においてもらうことができるのである。 コーランの中には、アッラーは人間の善行に対しては、それを十倍、あるいは何十倍にもして返すと記された部分もある。 したがって、コーランを読む限り、地獄に行くことになるのはかなり悪質な人間だと想像できる。 しかし、このような人間に対しても、アッラーはその人が犯した罪以上の罰は与えない。 生前に地上で行った悪事の1つ1つについて、それと同程度の苦しみを地獄で与えられることになるのである。 天国は完全な楽園で、食うに困らない快適な場所である。 具体的には、絶対に腐ることのない水が流れる川、味の変わらない乳の川、美酒の川、蜜の川などがあり、あらゆる種類の果物も実っている。 暮らしぶりも贅沢で、金糸で飾られたねだい臥台に横たわり若々しい従者に酌をさせて酒を飲むことができるし、その酒はいくら飲んでも頭が痛くなったりしないという。 また、鳥の肉も食い放題で、処女の妻まであたえられる。 これに対して、地獄の方は基本的には燃え盛る炎に包まれた場所だとされており、煮えたぎる熱湯やどろどろの膿汁を呑まされる場所とされている。 地獄のどん底にはザックームという奇怪な木も生えている。 この木には悪魔の頭のような実が生っており、罪人たちはこの実を無理矢理に腹一杯食わされるのである。 世界の終わりの話目次 第1部 世紀末と終末論 第2部 神話・終末文書に描かれた終末 第1章 円環的な歴史の中の終末 第2章 直線的歴史と終末 第3章 異教の終末文書 第4章 千年王国思想 第三部 19世紀の世紀末と終末観 《内容》 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。 その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。 やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。 だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。 そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。 恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。 …、そして、彼の逃亡がまた始まる。 はたして、彼は逃げ切れるのか。 鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 Copyright C 草野巧 All Right Reserved.

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ヨハネの黙示録は現実になる?ラッパ吹きの天使の話

終末 の ラッパ

最初にお伝えしたいのですが、僕は従順なキリスト教徒でもないですが、アンチキリストでもありません。 今回の記事は客観的な第三者という立場から意見させて頂くことをお断りしておきます。 では本題に入りましょう。 早速ですが、 ヨハネの黙示録は預言書の類としての扱いを受けています。 ヨハネの黙示録は全22章から成り立っていますが、第1章の初めに「イエス・キリストの黙示」であることが記述されているのです。 つまり、 イエス・キリストの暴露した内容をヨハネが代筆しているようなものなんですね。 その中でも有名な記述がこちらになります。 天使のラッパ• 四騎士• 7つの封印 今回は、この3点について意見させて頂ければと思います。 ヨハネの黙示録の天使のラッパが意味する事とは?• 天使のラッパといえば、漫画などではキューピッドのようなイメージがありましたが、 ヨハネの黙示録ではそんな可愛らしいものではありません。 ヨハネの黙示録第8章から天使のラッパは登場します。 7人の天使が7つのラッパを神から与えられ、それぞれがラッパを吹くと大参事になるとされています。 どんなことが起こるかというと…• 第1のラッパ 血の混じった雹と火が現れ地上に降ってきて、地と木の三分の一が焼け、すべての青草も焼ける。 第2のラッパ 巨大な山のような塊が海に落ち、海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、すべての船の三分の一が壊される。 第3のラッパ 苦ヨモギという巨大な隕石がすべての川の三分の一とその水源に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ。 第4のラッパ 太陽・月・星の三分の一が壊され、その分だけ昼も夜も暗くなってしまう。 第5のラッパ 一つの星が地上に落ち、底なしの穴を開けアドバン(怪物)を呼び出し、 額に神の印がないものを襲い、5か月もの間サソリに刺されたような苦痛を与える。 第6のラッパ 4人の天使が2億の騎兵隊を引き連れ人間の三分の一を殺す。 第7のラッパ 悪魔と神の戦いにより世界の終末が訪れる。 悪魔は敗れ、神に選ばれなかったすべての人が死ぬ。 yoyoue. jpn. htm) いかがです? 神に選ばれた者以外は 全滅という結果が待っていますね。 僕が受けた印象としては神が自分を信じるものだけを救い、それ以外を一掃してしまうという 邪魔者を排除しているように受け止められました。 そもそも、地上も海も太陽もほとんどの自然が壊滅状態です。 この状態では人間はもとより動物も生き残るのは無理そうですよね。 ちなみに、このラッパのお話ですが、第7の封印を解いたときにならされます。 さらに、第7のラッパを吹くと、今度は7つの鉢が登場する流れになっているんです。 表にした方がわかりやすいかもしれませんね。 つまり、 第7の封印が解かれたことにより上記のような事柄が起こったのです。 そうなると封印の方も気になりますよね。 それぞれの封印は何を封印していたのでしょう。 また、封印を解くとどうなるのでしょうか? ヨハネの黙示録の四騎士とは? 第1から第4の封印を解いたときにはそれぞれ騎士が現れます。 1つ目の封印を解いたとき、冠を与えられ弓を手にした騎士が、白い馬に乗ってやってきた。 2つ目の封印を解いたとき、大きな剣を手にした騎士が、赤い馬に乗ってやってきた。 3つ目の封印を解いたとき、秤を手にした騎士が、黒い馬に乗ってやってきた。 4つ目の封印を解いたとき、「死」という名で黄泉(ハデス)を従えた騎士が、青白い馬に乗ってやってきた。 yoyoue. jpn. htm) それぞれ騎士には役目を担っており• 白い馬の騎士 地上の支配者となる• 赤い馬の騎士 戦いを画策、先導する• 黒い馬の騎士 食糧難を起こす• 青白い馬の騎士 世界的に多大な死者を出す伝染病などを引き起こす があったのではと推測されています。 いずれも戦争などで平和を奪い取り死に至らしめるための騎士であることは間違いなさそうですね。 なぜ、わざわざこのような騎士を呼び出さなければならなかったのか? 至極個人的な物言いで申し訳ないのですが、キリスト教の神は支配者になりたいのでしょうか? 正直言うと、これを読むまでのキリスト教のイメージは清廉潔白、虫も殺さないような聖人のイメージしかなかった僕には、 衝撃的な内容だったのです。 Sponsored Links 一説には 白い馬の騎士はキリストであり、すでに地上を支配する役目を全うしているとしています。 でもちょっと待ってください。 本当にそうでしょうか? 確かにキリスト教は広く世界でも知られる存在となっています。 しかし、世界の人口に対するキリスト教の割合は約3割。 キリストが地上を支配しているというのは語弊があるように思えてならないのです。 また、赤い馬の騎士が戦争を起こさせるという戦争は第1次世界大戦を指しているという説もありますが、戦争は世界大戦だけではありませんよね。 残念ながら現在でもクーデターやテロなど争い事は絶えず起こっているのも事実。 複数の人間がいれば思考も思想も十人十色で、預言されなくても安易に想像できそうできなくもないと思いませんか? 黒い馬の騎士の飢饉に関しても同様です。 飢饉とは食糧難ってことですよね? 人が増えれば限られた食料は足りなくなってしまいます。 ましてや戦争が想定されているのならば、なおのことですよね。 最後の青白い馬の騎士の疫病に関しても戦争が想定されている状況であれば環境悪化による疫病が蔓延してもおかしくないはず。 つまり、いずれの災難も想定できるものだったのではと思うのです。 支配者が現れれば対抗勢力も生まれ、戦争が起こる。 戦争が起これば食糧難に陥り、環境悪化により疫病も増え、さらには医療も十分に広まらないので死者の数も当然増えてくる。 戦争・飢饉・疫病そして独裁支配。 ヨハネの黙示録は本当に聖書として認められているのかと疑いたくなりますね。 実際、この黙示録は内容があまりにグロテスクなものであるため「異端の書」として長い事扱われており、 2世紀中ごろにローマ・カトリック教会が聖典として認めた現在でも朗読されることはほとんどないそうです。 では、残りの3つの封印とはどんなものなのでしょう。 ヨハネの黙示録七つの封印とは? 第5の封印が解かれたときには、殺された信者の霊魂が復讐を懇願していますが、神は殺されて霊魂になる信者の数がもう少し増えるまで待つように伝えます。 ヨハネもこの黙示録の冒頭で自分が死んだようになったが、光り輝くそのお方(=神?、キリスト?)がヨハネの胸に手を乗せると生き返ったかのように話が進んでいきます。 イエス・キリストに関しても十字架にかけられ死んだはずが、3日後に復活(生き返る)したというくらいですから、 復活が前提で世界を一掃しようとしているのが読み取れます。 これは、殺された信者の霊魂を復活させる術があったのではないかと思わせる記述ですよね。 また、第6の封印が解かれたときには、大地震・隕石落下・嵐が起こることが記述されています。 さらに、地上で嵐が起こっている時は、144,000人に神の印をつけ終わるまで地上の四隅に4人の天使が風を防ぐという場面もあります。 つまり、 救われる、又は復活できるのは選ばれた信者である144,000人だったんですね。 第5の封印が解かれたときに復讐を懇願していた霊魂もこの144,000人の中に含まれていたのでしょうか? 第7の封印では最初に記述した7人の天使がラッパを与えられたところから始まります。 そもそも、この封印とはなんなのか? それは第4章でヨハネが 天の声に従い、霊魂だけが天界に昇った時に見たものです。 神は右手に巻物を持っていたのですが、 この巻物に施されていたものこそが7つの封印だったのです。 このような事は一般的には受け入れられていないことですから「そんなの嘘!」と思うかもしれません。 でも事実、臨死体験で霊魂だけが体から抜けて霊界に行った人の話はたくさんあります。 また、修行の末に肉体から霊体を意図的に出したり入れたり出来るようになった人もいるのです。 巻物を持って天から降りてきた神か、もしくは神の使いの話も体験者から直接聴いたことがあります。 その人は烏帽子をかぶり、所謂昔の貴族のような格好をしていたそうですよ。 地域性があるのかもしれませんね。 では、このおぞましい封印を解いたのは誰なのでしょう? この封印を解くにふさわしいと認められたのが「ほふられた小羊」だったのです。 小羊というと可愛い印象を受けますが、実はとてもグロテスクだったのではないでしょうか。 しかも、この小羊には 7つの角と7つの目があったと記述されているのです。 想像すると、サタニズムではなかろうかと思ってしまうほどですよね。 どちらが悪で、どちらが正義なのか…?.

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黙示録あらすじ

終末 の ラッパ

ヨハネの黙示録にあるラッパは、どこまで吹き鳴らされたでしょうか。 第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける 2. 第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ 3. 第三のラッパ:にがよもぎという星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ 4. 第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる 5. 第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる 6. 第六のラッパ:四人の天使が人間の三分の一を殺した。 生き残った人間は相変わらず悪霊、金、銀、銅、石の偶像を拝んだ 天使に渡された小さな巻物を食べた。 腹には苦いが、口には甘い 二人の証人が殺されるが生き返る 7. 第七のラッパ:この世の国はわれらの主、メシアのものとなった。 天の神殿が開かれ、契約の箱が見える。

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