映画 万引き 家族 相関 図。 【ネタバレあり】『万引き家族』解説:登場人物の名前に隠された意味とは?

万引き家族》意味や伏線・家族構成の解説!結末のネタバレや感想まで

映画 万引き 家族 相関 図

万引き家族の紹介:2018年日本映画。 万引きという犯罪を通して繋がっていく家族の物語を「誰も知らない」「そして父になる」の是枝裕和監督がオリジナル脚本で映画化。 親の年金を不正受給していた家族が逮捕されるという実際の事件から着想を得たという物語で、育児放棄などの題材も交えながら、一人の少年の成長と選択を描きます。 2018年第71回カンヌ国際映画祭で日本映画としては21年ぶりとなる最高賞パルムドールを受賞した話題作。 リリー・フランキー、安藤さくら、樹木希林等、ベテラン俳優に、松岡茉優や城桧吏ら期待の若手俳優が出演。 万引き家族のネタバレあらすじ:起 東京、下町のとあるスーパーに親子らしき中年男、治(リリー・フランキー)と少年、祥太(城桧吏)が入って来ます。 目と目で合図をしながら二人は店の商品をごく自然に手慣れた様子で店の外に持ち出しました。 凍えるような冬の夜、仲の良い父子のような二人は万引きした大量の品を持って家路に着きます。 ふと、とある団地のベランダに小さな女の子が一人で震えているのを見つけた二人。 中からは男女の言い争う声がしています。 見かねた二人は女の子を家に連れて帰ります。 三人が帰ったのは古びた一軒家で、初枝(樹木希林)という老女、若い亜紀(松岡茉優)、そして信代(安藤サクラ)という中年女が二人の帰りを待っていました。 治たちが連れ帰った女の子は「ゆり」と名乗りました。 ゆり(佐々木みゆ)は毎日のようにベランダに追い出され、一人で遊んでいるところが目撃されていた子供だということがわかります。 信代や亜紀は、ゆりを早く家に戻すように言いながらも世話を焼き、結局その夜はゆりは初枝と眠りにつきました。 翌日、治と信代はゆりをおんぶして、ゆりの両親が住む団地へ送り届けようとしますが、中からはまたもや怒鳴り声と「産みたくて産んだんじゃない」という声が聞こえ、2人は再度自宅へゆりを連れて戻ります。 ゆりも家に帰りたくないと言い、「脅迫も身代金要求もしていないんだから誘拐じゃない」と言う治の言葉で、ゆりはこの家の子供になりました。 雑然とした家の中で6人の大家族がひしめき合う暮らしです。 万引き家族のネタバレあらすじ:承 実は初枝の持ち家であるこの家は、初枝が一人で年金暮らしをしていることになっています。 一家はその存在自体が秘密なのです。 そんな中で治は日雇いの現場作業員、信代はパート先のクリーニング屋で洗濯物に付いていたネクタイピンやアクセサリーをくすね、初枝を「おばあちゃん」と呼んで懐いている亜紀は、女子高生のコスプレをして性風俗店で働いています。 学校に通っていないらしい祥太はゆりを連れて近所をうろついては駄菓子屋やスーパーで万引きを繰り返す毎日です。 ある日、治が仕事現場で脚を骨折し、働けなくなります。 「労災が降りるはずだから仕事に行けなくても大丈夫」と言う治でしたが、結果労災は降りず、家族の生活は困窮します。 一家は「じゅり」という少女が行方不明になっており、両親は2ヶ月間も捜索願いを出していなかったというニュースが世間を騒がせているのを知ります。 「じゅり」の両親に人々は非難と疑いの目を向け、じゅりの家の周りは報道陣に取り囲まれていました。 その家は冬の夜にゆりを見つけた、あの団地です。 そしてテレビにはゆりの顔写真が大きく写し出されていました。 じゅりの両親が疑われていることに、いちまつの後ろめたさを感じつつも、彼らが長い間娘を探さなかったことや、ゆりの身体中にあるアザや火傷の痕から、ゆりが両親から虐待を受けていたことを確信している一家は、長かったゆりの髪を短く切り「凛」と名付けます。 「似合うよ」とみんなに誉められて笑顔になる凛。 凛はすっかり家族の一員となっていました。 治と祥太は凛を連れて釣り具屋で釣竿を万引きします。 釣竿は高価で売れる為、これでしばらく生活できると話す治と、浮かない顔をしている祥太。 その頃、信代は同僚女性と二人でパート先のクリーニング工場の責任者に呼び出されました。 「不況の煽りを受けて従業員を減らしたい。 ベテランの二人のうち、どちらかが辞めるか交代で仕事をするか話し合って決めてほしい。 」と二人に告げる雇い主。 店の裏で信代と同僚は話し合いをしますが、それぞれ生活が苦しくて辞めることも勤務時間を短縮することもできないと、二人とも譲りません。 そこで同僚女性が出してきた切り札が凛の存在です。 「私はテレビに出てた子供が、あんたの家にいることを知っている。 」と告げる同僚に、信代は仕事を譲ります。 「もし、しゃべったら殺す」そう言って信代は職場を去りました。 ある日、水着を買ってやろうとすると、殴られるのではないかと怯え始めた凛。 信代の腕に自分のものと似たアイロンの火傷の跡を見つけて、そっと撫でてくれた凛。 信代は凛を手放さないと決めていたのです。 パチンコ店で他のお客の箱をネコババしたりする他は年金しか収入のないはずの初枝には、彼女が「慰謝料」と呼んでいる謎の収入があります。 初枝の元夫は以前、初枝を捨てて別の女性と家庭を持っていました。 元夫もその後妻も亡き今、初枝は元夫の月命日になると元夫と後妻の息子夫婦の家を訪ねてはお金をもらっていたのです。 初枝は息子に子供たちのことをたずねました。 息子夫婦には娘が二人いて、さやかという名前の次女は両親に愛情をかけられて育てられている様子が伺われます。 そして海外留学しているという長女ですが、長女の話をする息子の顔はなぜか強張って見えます。 その長女の写真として写っているのは亜紀でした。 息子は初枝が帰る時に妻に準備させた封筒、「慰謝料」の入った封筒を彼女に手渡して別れます。 実の妹の名前「さやか」を名乗ってマジックミラー越しに男性客の視線に曝される風俗店「JK見学店」で働く亜紀は、「4番さん」(池松壮亮)という孤独な常連客と心を通わせていました。 嬉しそうに初枝や信代にそのことを話す亜紀。 初枝と一緒に眠り、何でも打ち明けるほど亜紀は初枝に懐いています。 ある夏の日、一家は電車に乗って海に行きます。 むつまじく浜辺で遊ぶ家族を初枝は目を細めて見守りながら、声を出さずに「ありがとうございました」と呟いていました。 万引き家族のネタバレあらすじ:転 翌日、一家は眠ったまま息を引き取った初枝に気がつきます。 初枝を弔う費用はありません。 しかも初枝は一人暮らしをしている事になっている上に、死亡届けを出せば初枝の年金が受け取れなくなります。 さらに、家に人が来れば凛の事がバレてしまうかも知れません。 初枝の遺体は、治が家の床下を掘って埋めました。 初枝のへそくりを見つけて喜ぶ治と信代の姿を複雑な面持ちで見つめる祥太。 ある日、駄菓子屋でいつものように万引きしようとした祥太は、駄菓子屋の主人(柄本明)に呼び止められ「妹にはさせるなよ」と二人分のお菓子を手渡されます。 祥太は治に「店のものは、まだ買われていないなら誰のものでもない」と教えられていました。 しかし万引きで生活を賄っていることや、学校に行っていないことなど、祥太は徐々に自分の置かれた状況に疑問を抱き始めていたのです。 そんな中で治は駐車場に停めてある車の窓を破り、車内のブランドバックを盗んで祥太を連れて逃げます。 「店のものと違って車には持ち主がいるよね」と言う祥太の問いを、治ははぐらかすしかありません。 数日後、ついに事件が起こります。 祥太が万引きしようとしたスーパーで、凛が自ら見よう見まねで万引きをしようとしたのです。 祥太はとっさに、商品の缶詰めを派手にひっくり返して店員の気を引き、ミカンを掴んで走り出します。 追いかけて来た店員に挟みうちにされ、橋の下へ飛び降りた祥太は怪我をして病院送りになりました。 このままでは全てが警察にバレてしまうと思った治は、信代たち残された家族と共に夜逃げしようと家を飛び出します。 しかし家の外に張り込んでいた警察に拘束され、家族はそれぞれに事情聴取を受けることに。 そこでこの一家の関係が明らかになりました。 夫に裏切られ身寄りのない初枝。 DV夫を殺害した過去を持つ元ホステスの信代と彼女の客だった治。 二人とも初枝との血縁はありません。 三人の子供たちも親はバラバラで、睦まじく暮らしていた6人家族は皆、誰も血が繋がっていなかったのです。 信代は全ての罪を被って懲役5年が言い渡されました。 釈放された治は1人暮らしを始め、祥太は施設に預けられ初めて学校に通うことになります。 凛は本当の両親の元へ戻されました。 初枝が自分の実の親からお金を受け取っていたことにショックを受けた亜紀ですが、一人そっと初枝の家へ戻ります。 窓から静まりかえった家の中を覗き込む亜紀。 万引き家族の結末 治と祥太は連れ立って服役中の信代の面会に訪れます。 信代は祥太に「あなたはパチンコ屋の駐車場で拾った。 赤いヴィッツだった。 本当の親が見つかるかもしれない。 」と話します。 祥太も凛のように、両親の育児放棄から信代に拾われていたのです。 この夜、祥太は治の家に泊まり、治と一緒に雪だるまを作ります。 以前と変わらない仲の良い父子のような二人でしたが、治は祥太を置いて夜逃げしようとしたことを告白しました。 そして今までずっと祥太にお父さんと呼んでほしがっていた治は「父ではなく、おじさんに戻るよ」と祥太に告げました。 翌朝、祥太はバスに乗って施設へと帰ります。 走り出したバスを思わず祥太の名前を叫びながら追いかけた治。 バスは止まることなく、祥太もついに目を合わせて呼び掛けに答えることはありませんでした。 凛は両親の元で再び虐待に曝される生活に戻りました。 凛は以前のように1人でベランダで遊び始めます。 しかし、ふと立ち上がり踏み台に乗って外を見つめます。 そこには、まるでまた誰かが迎えに来てくれるのを期待しているかのような凛の姿がありました。 以上、映画「万引き家族」のネタバレあらすじと結末でした。 素晴らしいの一言に尽きるのではないだろうか。 タイトルだけをとってみると、ややもすれば様々な「万引きハウツー」のようなものがコミカルに描かれたりするのではないか、とも想像したりする人もいるかもしれないが、そういったコミカル要素は一切排除されている。 「万引き」という犯罪行為はあくまでも僅かな要素の一つでしかなく、しかしそれでいて、どこかに本来あった生物学的な家族から「万引き」をして構成された仮初の集合体に対して、「万引き家族」と呼称するセンスは天才的だと感じる。 そして、いくつも素晴らしいシーンはあったが、あえて挙げるとすればリリーとサクラの濡れ場について。 まるで夫婦のような二人が畳の上で交わったのち裸でいるところに、子どもたちが帰宅する。 二人は一生懸命性交渉の後を隠蔽し、雨の中帰ってきた子供たちに普通通りを装う。 どこの現実家族、現実夫婦でもあるようなこの場面、子供たちに親の性交渉の現場は隠さなければならないという本能、優しさ。 これは本当に偽物と言ってしまってよいのだろうか?この所作の中にある優しさこそ、家族というものがもつべき温かみなのではないのか?と、鑑賞者に訴えかける最高のシーンの一つであった。 観た方が良いですよ。 genさんの感想 治のセリフ、どうしたの?コロッケ食べる?、凛の切ない表情、ジッと見つめて、たたかない?と聞いた時の瞳はおびえていたのか?あの小さな女の子だけは助かってほしかった 本当の家族なのに愛情を見出せないなんて 初枝は最後に家族で海に行けて幸せだったのかな? 孤独とは人間の永遠のテーマです そして愛情も お金だけがつながりじゃない それだけじゃ生きていけない 治は祥太と別れた後も祥太の事を待っていると思う ずっとあのアパートで家族みんなで海に行った思い出は永遠のものだねあの雪の日の思い出も 声に出して言ってみろよ、のセリフは本当に心からの声 愛の投げかけだね 気づかない日常にそんな事があるのかもしれない• にゃはさんの感想 最初はなんてつまらないんだろうって無理に見ていた。 誘拐、ちょいエロ、万引き、DV、、とR指定されてもいいような要素が散りばめられているのに、生温かいヒューマンドラマを見せられてるという、謎に安心感のある不思議な映画。 途中から、全員が擬似家族だと知った時の衝撃から見入ってしまいました。 どおりで子供にあんな笑顔で万引きすすめられてた訳だ!と妙に納得。 とはいえ子供=翔太くんやリンの事をちゃんと人として愛情で接してるのもとても良く伝わってくるんですよね。 終盤に向けてじわじわと味の出る映画だな〜と思ったけど、ラストはリン(じゅり)のベランダシーンで突然終わるとか意味がわかりません。 その後は視聴者の想像に委ねるという設定は本当にやめて欲しい。 リンがあそこから飛び降りたんだと想像しちゃったので。 兄(擬似)だった翔太が万引きして逃げて、飛び降りた時と同じように。 愛情をくれない本当の母親から逃げたかったんだって… なんだか想像は悲しい結末でした。 カンナがくるさんの感想.

次の

映画『万引き家族』あらすじと感想レビュー。事件は実話?元ネタを調査

映画 万引き 家族 相関 図

本作は疑似家族がテーマになっております。 そのため、登場人物の名前が基本的に全員偽名なんですね。 そんな彼らの偽名には物語を深く読み解いていく上で非常に重要なヒントが隠されています。 本記事では、1人1人のキャラクターの名前を取り上げて詳しく解説していこうと思います。 治 C 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用 リリーフランキー演じる本作の「父親」である「治」ですが、彼の本名は榎勝太(えのきしょうた)という名前です。 これが本作における「息子」である祥太(しょうた)の名前の由来になっているのですが、これは後々お話します。 彼がなぜ「治」という偽名を名乗っているのかということに関してですが、これは樹木希林演じる初枝の息子の名前なんです。 初枝は自分の息子を女手一人で育てました。 そして彼が結婚するとその奥さんと3人で暮らすようになったのですが、初枝と息子の奥さんはたびたび喧嘩するようになり、結局息子の転勤を境に関係が断絶してしまったんですね。 つまり彼が「治」という偽名を名乗って初枝と一緒に暮らしているというのは、初枝の息子の代わりになろうという意志も働いていたのだと思われます。 そして初枝も彼のことを自分の息子のように思っていたんでしょうね。 初枝は「家族」で海に行った時に、自分の死期を悟ったのか小さな声で「ありがとうございました。 」と告げました。 この他人行儀な挨拶がすごくキーポイントになっていると思いました。 つまり初枝は彼らのことを本当に自分の「家族」のように思っていましたし、そして彼のことを本当の「治」のように愛していたんだと思います。 しかし、死ぬということはその儚い夢が終わるということを意味します。 だからこそ初枝は最後によそよそしい他人行儀な言葉で感謝を告げたんでしょうね。 初枝視点で見ると彼が「治」という名前を名乗っていることに無性に泣けてきます。 そして終盤のシーン。 彼は祥太が乗ったバスを追いかけます。 彼は祥太が逮捕された時に逃げようとしました。 その時はまだしっかりと「家族」という実感が持てていなかったのかもしれません。 はたまた祥太を失うということの意味に気がついていなかったのかもしれません。 しかしバスを追いかける彼の姿は、彼の表情は、今まさに「家族」を失わんとしている男の、「父親」の表情だったと言えるでしょう。 自分から拾って、そして捨てようとした祥太を、失うことの意味をようやく悟った彼の姿に、彼らが「家族」だったんだということの証明が見え隠れしています。 信代 C 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用 安藤サクラ演じる今作における「母親」である「信代」ですが、彼女の本名は田辺由布子という名前です。 彼女がこの名前を名乗っているのは、「治」と同じ理由です。 というのも「信代」という名前は元々初枝の息子の奥さんの名前でした。 彼女がこの名前を名乗った理由として私が考えているのは、母親から「愛されなかった」幼少期の経験が大きく関係しているということです。 彼女は血の繋がった母親から常に「産まなきゃよかった。 」と言われて育ってきました。 しかし彼女自身は母親に愛されたいと心の底から願っていたのだと思います。 そして初枝もまた息子とそして息子の奥さんと良い関係を築きたかったのだと思います。 気の強い初枝は上手く関係を築くことが出来なかったことを悔いているのでしょう。 だからこそこの2人の関係性はwin-winとも言えます。 初枝は「信代」を自分の娘のように可愛がり、愛することで過去の後悔を清算しようとしています。 一方の「信代」はその名前を名乗り、初枝の義理の娘になることで自分がどんなに渇望しても手に入れられなかった「母の愛」を受け取っているんだと思います。 キリスト教的な考え方に「愛を受けた者だけが、他人に愛を注げるのだ。 」というものがあります。 本作にはその考え方が反映されていて、「信代」は初枝に愛され、家族に愛されたからこそ、自分も「凛」を我が娘のように愛そうとしたのでしょうし、彼女を失った時に紛れもなく「凛」の母として涙を流したのです。 詳しくはこちら: 取り調べの時に自分はじゅりの母親にはなれないんだということを悟った時の彼女の表情と、「りん」との暮らしを守るために同僚からの脅迫を飲み込んで仕事を止める決断をしたときの彼女の表情のコントラストが強烈で、脳裏に焼き付いて離れません。 祥太 C 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用 城桧吏が演じる今作における「息子」である「祥太」ですが、彼の名前の由来は先ほど少し触れましたように、「父親」の本名である榎勝太(えのきしょうた)の漢字違いというわけです。 「治」がなぜ彼に「祥太(しょうた)」という名前をつけたのかを考えてみました。 「治」は劇中ですごく家族というものに憧れている節があるんですよね。 例えば日雇いの労働で訪れた建設現場の一室で未完成の浴槽に入って天井を見上げ、自分がここに暮らしていたら・・・なんて妄想をしたりしています。 なぜ彼がそんなにも絵に描いたような「幸せな家族」に憧れるのかと言うと、それは彼が幼少期以来両親に自分の存在を否定されて生きてきたからです。 だからこそ彼は幸せな家族に憧れていました。 そして、息子として親の愛を受けられなかった自分を酷く卑下しています。 そう考えていくと彼が自分の本当の「息子」のように可愛がる「祥太(しょうた)」というのは、幼少期の彼自身の投影なんだと思います。 彼は「祥太(しょうた)」を愛することで、愛を受けられなかった自分自身を救おうとしているのだと考えられます。 「治」は「祥太」に「父ちゃん」と呼んで欲しいとしきりに言っていましたよね。 これって多分、彼は存在を否定されていたがために自分の父親に「父ちゃん」と呼ぶことすら許されなかったんだと推察できます。 だからこそあの頃の自分が出来なかったことを「祥太」にはして欲しいし、そうすることで過去の自分を愛そうとしているんです。 考えれば考えるほどに「祥太」という名前は切なく感じられます。 スポンサードリンク さやか C 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用 「さやか」というのは本作で「長女」に当たる亜紀が風俗店で働く時に用いている源氏名です。 彼女がなぜこの名前を用いるのかということに関してですが、この「さやか」というのは彼女の血を分けた妹の名前なんです。 亜紀は妹が生まれたことにより、妹が親の愛を一身に受け、自分のことを顧みなくなったことから家を飛び出しました。 だからこそ彼女はそんな妹への、家族への復讐の意味合いを込めて風俗店という場所で「さやか」を名乗っていると告げました。 彼女が風俗店でこの名前を用いていること自体が復讐チックではあるのですが、それ以上に彼女の風俗店での振る舞いにも注目したいと思います。 彼女は実は店ではあまり人気がないんです。 それは彼女が「さやか」という名前で「愛されないこと」を経験することで、満足感を得ているのではないかと考えられます。 また彼女が店で出会った男性と恋に落ちるのですが、その人を抱きしめている時に彼女は自分は亜紀なんだと強く実感しています。 つまり彼女は亜紀として誰かから愛されることに飢えているんだと思います。 だからこそ彼女はあの家族といるときには亜紀という本名を用い、風俗店で「さやか」という名前を使うのです。 そして彼女は初枝にひどく懐いています。 これは彼女からの愛を亜紀としてひとえに受けたいという願望の表れなのでしょう。 そんな亜紀だからこそあの「家族」が偽物だったんだということを警察に突きつけられた時に全部白状してしまったんでしょうね。 彼女があの「家族」の中にはあると思っていた本物の愛が全て偽物だったと突きつけられたわけですから。 終盤に誰もいなくなったあの家に彼女は1人で戻って来ます。 「家族」で過ごした部屋を1人見つめる彼女。 彼女は何を思うのでしょう。 最後には自分が証言してあの「家族」を壊したわけです。 私は亜紀はそれでもなおあの「家族」にあった本物の愛情を信じたかったんだと思います。 信じたくて、あの部屋を見て、そこで過ごした時間を思い出して、確かめたかったんだと思います。 事実としてはあの「家族」は確かに偽物でした。 それでも自分がここで過ごしていた時に感じてきた思いは?愛はどうなのでしょうか?それは全て偽物だったのでしょうか。 その問いに亜紀がどんな答えを出したのかどうかは描かれません。 しかし、彼女はあの部屋を訪れて、もう1度本物の愛を信じ直すことが出来たんじゃないかと私は希望的な観測をしております。 凛 C 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用 佐々木みゆ演じる「凛」は本作における「末っ子」で、本名はじゅりです。 「凛」という名前は、彼女のことがニュースになった際に、「信代」が彼女を家に引き留めるためにつけた偽名です。 そもそもの由来は、母親が水商売をしているために嫌われていた幼少期の彼女と唯一分け隔てなく接してくれた友人の名前から取ったものでした。 「凛」という名前は名前そのものよりもこれが「信代」が命名した名前であるという事実の方が大切です。 「信代」は「凛」の母親になろうとし、そして彼女には自分とは同じような人間になって欲しくないからと、彼女が虐待されていたであろう生家に戻すことを拒み、自分の手で育てようと試みました。 しかし結局彼女は「母ちゃん」と呼ばれることもなかったし、彼女の本名である「じゅり」という名前を知ることすらありませんでした。 彼女はじゅりの母親にはなれませんでした。 それでも彼女は紛れもなく「凛」の母親だったんだと思います。 「母ちゃん」と呼ぶことはありませんでしたが、じゅりが最後にあの家族と暮らしている時にもらった「宝物」を大切にしているのを見ると無性に泣けてきますね。 ビー玉の数え方も何もかもが信代に教えてもらったものです。 あの「家族」と暮らしている時に教わったことを忘れていない彼女の姿に本作の「家族」というテーマが集約されているようにも感じられました。 ラストシーンに込められた意味とは? C 2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro. 映画『万引き家族』予告編より引用 さてここまでの説明で本作において「名前」というモチーフがすごく重要な意味を持っていることがお分かりいただけたかと思います。 本作中では、親から子に「教える」という行為が凄く印象的に描かれています。 良いことも悪いことも親から教えられたことは子供にとっては全てなのです。 1~10の数え方も、服を買っても叩かないということも、万引きも、学校に行くことの意味も。 何もかも親に教えられたことを自分の中へと組み込んでいきます。 そして親から子に一番最初に与えられるものが「名前」なんですよね。 だからこそ映画『万引き家族』において「名前」が非常に重要な意味を持っていたわけです。 そしてそれと共に親は自分を「父」「母」の敬称で呼ばれたいと願うんです。 どんなに思っていてもやはり口に出さないと伝わらないこともあるのです。 信代が取り調べで「あなたは何と呼ばれていたの?」と聞かれ、涙したのはそのためです。 しかし最後の最後で本作は「名前」を口に出すことで「家族」の証明をするわけです。 バスの中で祥太が声にならない声で告げた「父ちゃん」。 ラストシーンでベランダから身を乗り出した「凛」。 彼女が告げたのは「父ちゃん」なのか「母ちゃん」なのか。 それは分かりません。 ただ冒頭の治と祥太があのアパートのベランダにやってきた時、「凛」は何も反応しませんでした。 しかし、ラストシーンでは「凛」はベランダの外に見た何かに反応して、身を乗り出したのです。 外にいたのは治だったのか、はたまた他の人だったのか。 ノベライズ版ではここで 「声にならない声で呼んで」という記述があります。 そう考えるとあの家族の誰かが来ていたのかもしれません。 明確に描かれてはいませんがベランダの外に来たのが「家族」であることは間違いないです。 そして本作はそんなベランダに佇む小さな少女の小さな変化に「家族」の何たるか?という壮大な問いに対する答えを託したのです。 おわりに いかがだったでしょうか。 今回は 映画『万引き家族』についてお話してきました。 名前1つ1つにこれだけ重厚なメッセージ性を孕ませてくる是枝監督は本当に素晴らしいですね。 名前というモチーフは血縁関係のある両親とその子供の契約の証明みたいなものです。 それを疑似家族の中に適用することで、それぞれの登場人物の心情や願望を具現化することに成功したわけです。 これはとんでもない脚本だと思いました。 今回も読んでくださった方ありがとうございました。 関連記事 ・是枝監督の日本アカデミー賞作品賞受賞作『三度目の殺人』 本作『万引き家族』同様キリスト教的なモチーフが多く登場している『三度目の殺人』の解説・考察記事です。 作中のモチーフを深く掘り下げて書いています。 名前の理由を読んでいろいろ腑に落ちました。 「声に出して呼んで」 というタイトルを是枝監督がつけたかったと聞き、それも腑に落ちました。 商業的にはこれではどうか?万人に分かりやすいセンセーショナルなネーミングってことで、 「万引き家族」 になったそうで、盗んだのは絆でした、というコピーがありました。 それは 今更まあいいとして、 いろいろなサイトで、信代の妹が亜紀と書かれているのがおかしいとおもい、ここに辿り着きました。 あの家族はだれも血が繋がってないはず。 亜紀の両親からお金をもらっていたおばあちゃん。 そして両親がおばあちゃんと住んでいることを知っていたこと、などが最後に分かりますが。 この、亜紀と家族の関係がいまいち希薄な気がして、信代の妹かとおもえばふむふむと納得するのか、そういう噂?が広まってますが。 それじゃ最後の取り調べのシーンの辻褄が合わないんで。 葉さん コメントありがとうございます! 亜紀は信代の妹ではないですね。 系図的には初枝の夫が不倫して作った子の子ということになりますかね。 亜紀は自分の妹ばかりが愛されて、自分が愛されない現状を憂いて、あの家を飛び出してしまったんですね。 彼女が初枝に懐いているのも、初枝が自分に注いでくれるのは本物の愛情だと思ったからです。 だからこそその愛すら金銭目的だったのではないか?という疑問を突きつけられた亜紀はショックだったんでしょうね。 そして自らの証言で家族を壊しました。 私は繋がりが軽薄だとは感じませんでしたかね。 むしろ純粋で偽りのない愛を探し求めていて、それを唯一感じられたのが、あの家族だったんじゃないかと思います。

次の

カンヌ受賞『万引き家族』あらすじ(ネタバレあり)・キャスト【是枝裕和監督の新作!海外では高評価続々】

映画 万引き 家族 相関 図

カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『万引き家族』を見た。 是枝裕和監督。 僕はとっても面白かったですね。 見てよかった。 実は映画を見たのは公開後間もない頃だったのに、あれこれ考えて感想書くのをずっと先延ばしにしてきた。 タイトルの『万引き家族』というのはインターネットスラングでいうところの釣りタイトルだろう。 映画のなかでは本物の釣竿を万引きするシーンもあるけれど、もちろんそういう意味ではない。 あえて強烈な拒否反応や嫌悪感を与えそうなインパクトあるタイトルをつけることによって、本来のテーマを事前知識として、あるいは鑑賞の途中まで観客に意識させないようにしたのだ。 そしてそれは見事に成功している。 つまり万引きという題材はあくまで映画の道具立てで、それを借りてべつの何か、貧困とか福祉切り捨てとかネグレクト(育児放棄)などという社会問題と真摯に向き合っていく、いってみればいつもの是枝イズムに溢れた傑作だと思った。 冒頭にこそ父親のリリー・フランキーさんと城桧吏さん(11歳)演じる息子・祥太との華麗な(という言い方は語弊があるが)連携プレイによる万引きシーンがあるが、それ以降は万引きという行為そのものがクローズアップされるシーンは実はそれほど多くない。 だいいちリリーさんは建設現場で日雇いの仕事をしているし(あまり真面目じゃないが)、母親役の安藤サクラさんはクリーニング工場でパートをしている(客の忘れ物をこっそりネコババするけどね)。 ちなみに祥太は「小学校は家で勉強できないやつが行くところ」というリリーさんがうそぶく言葉を信じて学校には行っていない。 一家が住むボロ家の持ち主であるおばあちゃんの樹木希林さんは、月に6万の年金を貰って昼間はパチンコをして暮らしている(ときどき他人の出玉をくすねて)。 要するにふだんの生活で不足する物資、シャンプーとかカップラーメンとかのこまごましたものを万引きで補う暮らしには違いないが、それでもって「万引き家族」とまで表現するのはちょっとオーバーかなあという気が僕はしました。 ただ彼らの生活信条の根底には、「店の売り場にあるものはまだ誰のものでもないから盗んでいい」というリリーお父さんの理屈や、「店がつぶれない程度になら(万引きするのは)いいんじゃない」というサクラお母さんの言い分があり、どちらもそうとう自分勝手で誤った無茶苦茶な理屈だけど、当人たちはそれを免罪符のようにしているのは確かだ。 「万引きは立派な犯罪です」というより、自分たちのような社会からこぼれ落ちた人間が、その社会からのほんのちょっとおこぼれを頂戴するだけの行為のいったいどこかいけないのか、という憤りとも開き直りともつかない気持ちが彼らのなかにはあれど、なにか社会に復讐してやろうとかいう壮大な覚悟はおそらくないし、スリルを求めてとかいうゲーム性も感じられない。 でまあ、そんなふうにそれなりにしあわせに暮らしていた家族に、親に虐待されアパートのベランダで隠れるように身を潜めていた佐々木みゆさん扮する女の子を不憫に思ったリリーさんが家に連れてきて、一緒に暮らすようになる。 そこから、この一家のありようが微妙に変化してくるという話だ。 映画的には、この出来事で一家の隠された秘密が徐々に明らかになってくるという仕掛けだった。 万引きという行為、誘拐まがいの行為を除けば(そういうのを除くというのもアレなんですけどね)、おんぼろで小さな平屋建ての家で共同生活を送っている一見どこにでもいそうな貧乏だけど明るく楽しい家族(サザエさん一家みたいな)の、ありふれた日常が淡々と綴られる映画なのだった。 そこのところを退屈と感じるかどうかがひとつ、映画をどうこう判断する分かれ目になるだろうなあ。 『万引き家族』の骨子は、僕は祥太の成長の物語だと思っている。 ある日突然りん(先刻の女の子のこの家族内での名前)という妹が出来、彼女に兄として慕われるようになるにつれ祥太は自分でも気づかないうちに変わっていく。 ひとつ転換点となる象徴的なシークエンスが、りんと駄菓子屋で万引きをしようとしたところを柄本明演じる店のおじさんに見つかり、「妹には、これ(万引き)やらせるなよ」と駄菓子をくれて見逃してもらうくだりだ。 サザエさんの例でいえば、伊佐坂先生みたいな懐かしい感じの町内会のおじさんが出てくるあたりに是枝監督の真骨頂があると僕は密かに思っているんだけどもね、この社会というのはもはやどこにも救いがないように見えるけれど、案外柄本明さんのような大人が(数は少なくなったが)まだまだいて、ルールを外れた行為をときには見過ごしてくれたり思いやりある忠告を与えてくれることによって、懐の深い社会を形成しているのだというふうなね。 ちょっとあそこいいシーンでしたよね。 祥太も柄本明さんの言葉で、自分がこれまでなにも考えずくり返してきた行為を、妹であるりんにまではやらせちゃいけないのではないかと思いはじめる。 あるいは「店のもはまだ誰のものでもないから(万引きしても)いいんだ」と言っていた父親が、工事現場で怪我をして働けなくなり皮算用していた労災も下りず、万引きもままならない身体になった途端、再び車上荒らしを始めるのを見て、それもどこか腑に落ちないものを感じてくる。 手垢のついた表現でアレなんですけど、ちょっとエディプスコンプレックスのような、「父親殺し」というほど過激なことまではいかないまでも、父親越えのような。 これまでずっと盲信してきたリリーさんに対する信頼が揺らぎ始めるようになるのだった。 小さな家の縁側から家族で花火を見上げるシーン。 このシーンはいつまでも心に残る……。 クライマックスはある夏の日。 リリーさん一家は電車に乗って日帰りで海へ遊びに行く。 そこで祥太は、母親サクラさんの妹の亜紀の水着からこぼれおちるおっぱいに思わず見惚れてしまうのだった。 祥太の成長がもはや飽和点に到達したことを強く印象づける面白いシーンだった。 この海水浴のシークエンスは全編、ことに海ではしゃぐ家族の様子を砂浜から静かに見つめる樹木希林さんの見事な演技もあいまって、奇跡のように素晴らしいシーンの連続だった。 あたかも家族の最期の晩餐みたいな。 ついさっき亜紀のおっぱいなんていきなり説明もなしに書いたけど、映画見てない人には亜紀って誰? ってことだよね。 亜紀は安藤サクラさんの妹でこの役は松岡茉優さんが演じている。 祥太からすれば叔母さんに当たることになるのか。 亜紀は女子高生がエッチな行為を見せてくれるという風俗店で働きながらリリーさん一家と同居しているのだ。 話は逸れるが(でも重要なこと)、僕が気になったのは家族のなかで亜紀だけがちょっと独特のポジションにいるというか、彼女は風俗で稼いだお金を一家の生活費に入れなくていいことになっていて、それになにより亜紀だけがなぜか万引き家族のなかにあって唯一万引き(およびそれに類する盗みのたぐい)をしないのだ。 『万引き家族』なのに万引きしない。 それはなぜなんだろうと、僕は映画を見てる最中も見終わった後もずっとそのことを考えていた。 父親がいて母親がいておばあちゃんがいて子どもが二人いて、家族と名乗るにはもうそれだけでも十分過ぎる構成なのに、わざわざお母さんの妹の亜紀まで同居させる理由はいったいどこにあるのだろうと。 話をこれ以上ややこしくする必要があったのかと。 結論から書くと、ひとつは先ほどの祥太やリリーさんの「性」の問題を浮き上がらせるためのアイコンとして。 家の中でリリーさんと亜紀がふたりきりになるシーンがあって、あそこちょっとドキドキしたもの。 で、そのあとのソーメンからの例のくだりに繋がるわけだからね。 それとこっちが本意だろうけど、亜紀がある意味「傍観者」の立場にいるからなんだと思ったんですね。 あるいは観察者と言い換えてもいい。 彼女は一家と共に暮らしながらも、つねに客観的にこの家族を見ていた。 後述するが事件がすべて明るみになったあと、亜紀ただ一人があの一家の住んでいた元の家に舞い戻り、懐かしそうに家の隅々まで見て回るのが亜紀だった。 こういう考え方はどうだろう。 誰からも見つからないように世間と隔離するようにひっそり暮らしているリリーさん家族と、反対に誰かに見つかりたがっている、というか実は特定の誰かに自分の存在を見つけてほしい(認めてほしい)と願望している存在の亜紀、という構図を監督は意図して作りだしたのではないかと。 観察者を内部に抱えることによって、この万引き家族の特異さがよりいっそう際立ったのは間違いない。 言ってみれば亜紀は観察者であり物語の語り手のような存在だったのだ。 世間から目立たないように暮らす特異な家族の物語の(ちょっと信用できない)語り手。 あるいはこの物語のすべてが亜紀の妄想であり、彼女が作りだしたファンタジーだったといってもいいかもしれないとさえ僕は思う。 映画を見た人はすぐわかると思うけど、あの「4番さん」を膝枕しながらそっと話して聞かせたようなファンタジーなのかもしれない。 祥太が劇中でリリーさんに話して聞かせる『スイミー』という小学校の国語の教科書にも出てくる物語がある。 小さな魚たちが群れを作り大きな魚のふりをして巨大なマグロから身を守ろうとする話。 振り返ってみるとリリーさん一家を象徴するとっても重要なメタファーなんだけど、亜紀はあのスイミーの群れには含まれない。 なんとなれば彼女には、群れを作ってでも生き延びてやろうという逞しさも熱量もないからだ。 亜紀はそれほど儚い存在なのだった。 自分よりかよわいりんと出会うまでは完全に亜紀はそんなふうだった。 でも彼女だって変わりはじめる。 自分よりうんとかよわいりんと出会ってから。 そして少し残酷な言い方になるが、自分の思いを声に出して誰かに伝えることが物理的に叶わない「4番さん」と出会うことによって。 まあ総じてこの物語の登場人物たちは、老い先短いおばあちゃんと絶賛能天気なリリーさん以外(リリーさん本人じゃなくて役柄)、みんな成長するのだ。 祥太は言うに及ばず幼いりんも、母親のサクラさんも母性に目覚め、もちろん亜紀にもそんな兆しが見える。 話を元に戻します(どこに戻せばいいのやら)。 樹木希林さん演じるおばあちゃんが海への日帰り旅行のあと唐突に死ぬ。 それから妹みたいに祥太に懐いていたりんが、祥太の真似をしてスーパーでお菓子を盗もうとして見つかりそうになる。 それを庇ってわざと見つかるようなヘタな万引きを打った祥太が、店員に追いかけられ、道路から下のアンダーパスへ飛び降りて怪我してしまう。 たんたんと進んできて物語はここにきて急展開を迎えるのだった。 祥太は警察に補導され、そこからリリーさん一家の意外な真実が次々と明らかになる。 実は彼らは誰一人として血縁関係にない、寄せ集めの家族だった。 そんな家族に警察や司法や福祉の手が、ある意味形式的に、ある意味無造作に、無遠慮に入ることによって貧乏ながらあれほど幸せに暮らしていた家族が、皮肉なことにバラバラになってしまうのだ。 世間の目から逃れるように生きていた「誰も知らない」家族が、ゆえに社会のどこからも誰からも救いの手が差し伸べられること適わなかった家族が、一夜にして今度は世間の誰もが知るところとなった途端、無残に解体されてしまうというこの矛盾。 このつらい現実を僕らは容赦なく見せつけられる。 是枝監督が映画をとおして伝えたかったことは、つまりこのことだったと思う。 人間として社会のルールから若干逸脱した人たちであっても、彼らを受け入れる社会の温かさ懐の深さがもう少しあってもいいのではないかということ。 そして家族として必要なことは血縁なのか、それとも愛情なのかというテーゼも同時に僕らはつきつけられたわけだ。 この問いに対する解がもちろん映画のなかで明確にもたらされることはないが、それは観客ひとりひとりが考えていくべきことだろう。 祥太役の城桧吏さんは『誰も知らない』の柳楽優弥さんを彷彿とさせる目力がある素晴らしい俳優さん。 松岡茉優さんはこの映画でいちばん厄介な役を見事に演じていた。 佐々木みゆさんのけなげさ。 リリー・フランキーさんはしょぼくれたおやじをやらせたらいまこの人の右に出るものがいないと思う。 僕的には田中邦衛さんの域にまで到達した印象。 リリーさんで『北の国から』の続編が撮れるなあと。 安藤サクラさん、樹木希林さんの演技が見事なのはいまさら言うまでもない。 樹木希林さんが玄関先で、やてきた老人福祉員を前に、歯のない口いっぱいにみかんかなにかを頬張るシーンの得も言われぬ凄み。 前述した海のシーンの静かな感動。 安藤サクラさんはラスト近くで取り調べの警察官に、「子供たちは、あなたのことなんて呼んでたの?」と訊かれて曖昧につぶやく。 「なんだろうね。 なんだろうね」 自分たちが盲目的に信じる正義を振りかざす警察官を前にして、怒るでもなく、黙秘を決め込むでもなく、ただあふれる涙を両手で何度も何度も目尻に擦りつけるようにして拭う。 ありとあらゆる感情が入り混じった震えるくらい感動的な演技だった。 もっともっと言いたいことがある。 言いたいことがありすぎて困る。 前述したシーンは言うに及ばず、名前(というか呼び名)にこだわった映画でもあった。 リリーさんは祥太との永遠の別れとなるかもしれない再会の夜、カップ麺にコロッケを浸しながら、「おじさんに戻るわ」とあっさり告げる。 あれほどお父さんと呼んでほしがっていたリリーさんなのにね。 せつない。 翌朝、祥太ひとりを乗せたバスが無情に走り去っていく。 祥太がなにかをつぶやく。 「お父さん」と呼んだようにも見えるけれど、その声はリリーさんにも僕ら観客にも届かない。 実の妹の名前を源氏名にして風俗で働く亜紀というのも、その感情が複雑すぎて怖いなあ。 りんも本名ではない新しい名前で家族の一員として迎え入れられる。 もちろん(たぶん)家族のみんなが、祥太も本名ではないのだろう。 新しい名前、この家族の中でだけ通用すればいい名前。 「4番さん」という風俗のお客さんの存在もそうだ。 彼にも本当の名前があるだろうが、亜紀の前では今は「4番さん」でいいのだ。 自分ひとりの世界では自分の名前などいらない。 ところが自分以外の誰かを呼ぶのにはその人の名前(呼び名)が必要になる。 他人から自分をなんと呼んでほしいかは、その人との距離感によっても違ってくるだろう。 あるいは自分が集合体のなかでどういうポジションでいたいのか。 そういうふだんあまりにも当たり前のこととして深く考えてもいないことが、ときにはとっても大事な意味をもってくることをこの映画は教えてくれる。 あと最後になるが、祥太が補導されたことを知って、リリーさんサクラさんは翔太を見捨てて逃げようとするのだけれど(酷いシーンだけどちょっと可笑しくて笑っちゃった)、あれ僕はね、見捨てたというより未来ある翔太やりんを自分たちとは違う日の当たる社会にもう一度戻してやりたいと思ったからじゃないかなあ、と僕は思いたいですね。 と思う一方で、家族は血縁か愛情かなんて白か黒かの二者択一じゃないし、どっちにしたってそんなきれい事ばかりで家族が成り立っているわけじゃないんだよ、という監督が投げかけた問いに対する監督自身のひとつの解答(メッセージ)みたいなものが示された場面でもあったのかなあと思った。 追記) Amazonプライムビデオでは7月8日より『万引き家族』を見放題独占配信中。 加えて是枝監督の『誰も知らない』('04年)『歩いても歩いても』('08年)『空気人形』('09年)も同日に見放題配信を開始した。 なお『そして父になる』('13年)『海街 Diary』('15年)『海よりもまだ遠く』('16年)『三度目の殺人』('17年)も現在配信中。 (2019. 9現在).

次の